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アスナの歩み その3

2025年03月07日 豆知識

愛知萌(あいちもやし)創業

創業者の薗田春己が、その枇杷島市場の流れを引き継ぐ青果仲卸に勤務していたことは前述しましたが、その傍ら、自宅工場でバナナの輸入加工業を営み、市場へも出荷していました。
戦後、食糧難の時期に米軍の放出物資の中から「緑豆」を見つけ、それでもやしを作ることを思い立ちます。
春己はもやし栽培を学び、1948年(昭和23年)にバナナの加工室を改造してもやし製造を始めました。
その後1952年(昭和27年)に会社を立ち上げ、屋号を「愛知萌食品(あいちもやし しょくひん)株式会社」としました。

当初は家族中心の24時間体制で休みもなく栽培に取り組みましたが、もやしの認知度は低く、販売量も少なかったため、手間がかかりました。
深夜の水やりや早朝の出荷作業をこなしながら、リヤカーで市場へ売りに行く日々が続きました。

当時はもやしの栽培方法が確立しておらず、腐敗との戦いでした。
安定した良い製品を作るため数々の試行錯誤をし、栽培室⦅室(むろ)⦆で寝泊まりすることもありました。
暖房の練炭で一酸化炭素中毒を起こしかけたこともありました。

昭和後期の商品

その後、栽培方法のノウハウも蓄積し、安定した出荷ができるようになって行きました。
中華料理店や八百屋さんでの販売が始まり、少しずつ生産量が増加しました。
当時の市場でのお客様の中には、スーパーマーケットに業態を変え、急成長される会社もありました。昭和30〜40年代にはそのようなお客様の成長に伴い、生産量が急増し、いち早く小袋用包装機を導入して今日の基盤を築きました。

アスナの歩み その4「愛知県から岐阜県へ」続く

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